【閲覧注意】カンボジアの負の歴史 トゥールスレンがヤバかった その2【S21】

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S21を見学し終わった後、とにかくヤバすぎると思って、宿に帰るなりカンボジアという国の歴史について調べました。

 

詳しくはウィキペディアなどをご覧いただければと思いますが、超絶ざっくり私なりに説明すると、

 

サロット・サル、通称ポル・ポトが首相についた民主カンプチア(カンボジアになる前)の時代にとった原始共産主義という原理思想に基づいて行われた弾圧政策の結果が、S21やキリングフィールドの背景

 

もっとざっくりゆうと、このポル・ポトがヤバかったという話。

 

彼は中国の毛沢東の実施した政策『文化大革命』に影響をうけ、原始共産主義というオリジナルの政策を実施しました。どのような思想かというと『資本主義の要素を全て否定すること』

 

『もう金とかなくして古代に戻れば争いはなくなるんじゃね?文明なんかいらなくね?』

 

そうして、医者や教師などの知識階級を「再教育」という名目で呼び出し、片っ端から殺したそうです。

 

 

 

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何がヤバいって

 

眼鏡をかけているだけで殺されるのです。

 

ポル・ポトは

 

『腐ったリンゴは、箱ごと捨てなくてはならない』

 

という意味不明の名言のもと、1979年までの約3年のあいだに知識人を静粛しまくった結果、カンボジアの人口は14歳以下が国民の85%という異常な状態までになりました。

 

なぜ14歳以下かというと、「知識をもたない=子供」という論理で、ポルポトは多くの少年兵を自分の政党クメール・ルージュで重用していたからです。

 

S21の話に戻り、『なぜあそこには処刑された人の記録があそこまで残っているのか?』という疑問。

 

それは、S21で処刑する側の人間が自分の身を守るためだと言われています。当時は密告されれば事情に関係なく即処刑という現実に、みんな疑心暗鬼になっていました。処刑する側の人間でも、命令を遂行しなかったり少しでも知識があると判断されれば処刑されていました。S21の所長は『自分は忠誠を誓ってきっちり処刑をしている』という証拠のために記録を取らざるを得なかったのです。

 

その後、ポルポトはタイへ逃れ潜伏生活を送ったらしいのですが、表舞台に引きずり出される前に亡くなっています。

 

 

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ヤバいという一言だけでは済まないカンボジアの歴史。

 

それを知った後に気づいたことは、この出来事がここ30年ほどの話だということ。

 

つまり、カンボジアバックパッカー旅で私が出会ったおっさんたちの中には、元クメールルージュの少年兵がいて、弾圧をうけた被害者もいるということ。もし、意思疎通ができる人がいるのならば、是非話を聞いてみたいと思ったと同時に、恐ろしい気持ちにもなりました。

 

まとめ
カンボジアの異様な雰囲気は、この国がたどった歴史に大きく関わっていることを、ここを訪れて実感した。

 


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